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菊の露(広橋勾当作曲)

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モスクワ音楽院主催「日本の心」より
(三絃:福田恭子/篠笛:正田温子)

解説

ふくしん(助松谷虎太郎とも)作詞
広橋勾当作曲

江戸時代に作曲された曲で、「地歌」という種類の楽曲である。

「地歌」の「地」は、土地を意味したものといわれており、大阪や京都の土地を中心として発展し、三絃を弾きながら歌を歌う、という意味から「地歌」と呼ばれている。

この曲は、釈迦の「愛別離苦(あいべつりく)、会者定離(えしゃじょうり)」が拠り所となっている。

「愛別離苦」とは、愛する人と生別または死別する苦痛や悲しみ、「会者定離」とは、命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れることになる、という意味である。

歌詞は、「会いに来てくれない男のつれなさを恨みつつも恋慕って、秋の風が吹く中、庭の菊を眺め、露の命のはかなさと、寂しいわが身を重ねながら、一人嘆いている」という内容である。

地歌の代表曲の一つであり、地歌舞でもよく上演される名曲の一つである。

三絃のみ、または三絃と尺八で演奏されることが一般的であるが、この演奏会では、三絃と篠笛による演奏を披露する。

歌詞

鳥の声、鐘の音さへ身にしみて、思ひ出すほど涙が先へ、落ちて流るる妹背(いもせ)の川を、と渡る船の楫(かじ)だにたえて、甲斐もなき世と恨みて過ぐる。

思はじな、 逢ふは別れといえども愚痴に 庭の小菊のその名に愛でて、昼は眺めて暮しもしょうが、夜々ごとに置く露の 露の命のつれなや憎や、今はこの身に秋の風。

現代語訳

季節は秋頃、空に飛ぶ鳥の声をきくのも、また寺々の鐘の響きも一入(ひとしお)身にしみて、去っていった人を恋しく思っている。

落ちる涙は川のように流れ、いとしい人の通う舟の楫も絶えて、何のたよりもない遠い人となってしまった。

今は生きて甲斐のないこの世を恨むばかりである。

昼は庭の小菊をうち眺めて、この寂しさを慰めてはみるものの、夜は夜ごとに花におく露のように、哀れなわが身をひとり嘆いている。

箏曲演奏家 福田恭子

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