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鉄輪(尾州某作曲、山口巌三絃替手手付)

解説

昭和2年(1927)9月に、三絃の替手が手付され、同年10月に箏の替手が作曲されました。

この曲は、能の《鉄輪》(かなわ)の物語をもとに地歌の謡物として作曲された楽曲です。

能の《鉄輪》は、『平家物語』剣の巻を典拠とするもので、長享元年(1487)にその曲名が初出しました。

その内容は、若い女に気移りした夫に復讐するために、貴船神社へ丑の刻参りをする前段と、貴船神の助力で鬼に変身して夫を取り殺そうとする後段から成っています。

能《鉄輪》の主に前段を取っている道行は、地歌《貴船》に取り入れられ、一方、後段の嫉妬に狂う生生しい心情吐露が中心となっているのは、地歌《鉄輪》です。

《鉄輪》の物語の詳細は、嵯峨天皇の時代に、嫉妬深い某公暁の娘が、貴船の社に詣でて、生きながら鬼神にしてほしいと懇願し、ついには鬼神になったという物語です。

明神の託宣があって丈なる髪を5つに分け、それを5本の角にし、顔に朱を塗り、鉄輪を戴いて、足に松明をつけ、口にもくわえて、頭にも五つの火を燃え上がらせ、眉を婦徳、鉄漿(かね)黒く(お歯黒)して、宇治の川瀬に37日降りて水にかかれ、とあったので、託宣通りにすると、貴船の神は気の毒に思い、願い通りその娘を鬼にし、そこで無常の男、その親族をなきものにしました。

この曲は、地唄舞においても演奏される曲です。

箏・三絃の合奏での演奏もされますが、今回は三絃同士による演奏披露をさせていただきます。三絃替手の細かい旋律が、主体となる本手の節を活かし、「鉄輪」の物語を思い起こさせるような節回しが効果的に取り入れられています。

歌詞

忘らるる、身はいつしかに浮き草の、根から思いの無いならほんに、誰を恨みんうら菊の、霜にうつろう枯野の原に、散りも果てなで今は世に ありてぞ辛き我が夫の。

悪しかれと、思わぬ山の峰にだに、人の嘆きは、生うなるに、いわんや年月、思い沈む恨みの数、積りて執心の鬼となるも理や。

いでいで恨みをなさんと、笞(しもと)振り上げ後妻(うわなり)の、髪を手に絡巻いて、打つや宇津の山の、夢現とも別かざる浮世に、因果は巡り合いたり、今更さこそ悔しかるらめ、さて懲りや思い知れ。

ことさら恨めしき、徒し男を取って行かんと、臥したる枕に立ち寄り見れば、恐ろしや御幣(みてぐら)に三十番神ましまして、魍魎鬼神(もうりょうきじん)は穢らわしや、出よ出よと責め給うぞや、腹立ちや思う夫をば、取らで剰(あま)さえ神々の責めを蒙(こうむ)る悪鬼の神通、通力自在の勢い絶えて、力も弱々と、足弱車の巡り合うべき、時節を待つべしや、先ずこの度は帰るべしと、言う声ばかりは定かに聞こえ、言う声ばかり聞こえて、姿は目に見えぬ鬼とぞなりけり。

通釈

夫から忘れられた身は、いつしか浮草の根無し草のように、心の底から自分が思わないのなら本当に、誰を恨みましょう、恨むこともないが、深く思った夫から捨てられたのであるから怨めしい。

うら菊は霜に色あせて、枯野の原にすっかり散ってもしまわないで、現在世に生存している夫は憎らしい。

先方が悪くなれと思わないでやったことでも、峯の上を覆う雲のように、うっとうしい悪い思いに嘆くこともあるのに、ましてはじめから長い年月思い沈んだ数々の恨が積もっての執念から起こったことであるから鬼になるのももっともなことである。

さあさあ恨みを晴らさんと苔を振り上げ、後妻の髪を手にからげて打つ、駿河の宇津の山で、現実とも夢ともわからない浮世にあって、おのれが犯した罪の因果がめぐって、汝にあたる今となっては後悔することだろう。

さあ懲りなさい。おもい知れ、本当に怨めしい薄情な浮気男を取って行こうと臥した枕の上に立ち寄って見れば、恐ろしいことよ、幣帛(みてぐら)に三十番神がいらして、新夫婦を殺そうとする悪鬼はけがらわしい、出て行け出て行けとお責めになるのであるよ。

腹立たしいことよ。

我が思っている夫も取ることが出来ず、そればかりか、神々の責めを受けることによって悪鬼のもつ、神通も通力も自在の勢いが無くなって、力も弱くなり、車輪の廻りの悪くなった車のように動かなくなった。

これではまたの機会を待つべきであるよ。

この度は残念ながら帰るべしという声だけは、はっきり聞こえ、言う声だけは聞こえて、悪鬼の姿は目に見えなくなってしまった。

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箏曲演奏家 福田恭子

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