御代万歳(山口巌作曲)
2017年12月23日に催された「第8回 えん箏の音を楽しむ会&伊藤志野お箏三絃教室おさらい会」で演奏させていただいた、この曲の作曲背景についてお伝え致します。
背景
東京音楽学校(現東京藝術大学)で箏曲生田流の講師を務めていた山口巌は、大正4年(1915)の大正天皇御即位の御大礼で、12月23日東京音楽学校の記念演奏会が開催され、箏2面(高/低)による《御代万歳》(みよばんぜい)を作曲しました。同校の吉丸一昌に作詞を依頼し、生田流は山口巌、山田流は今井慶松(けいしょう)がそれぞれ作曲し、【御大礼奉祝音楽演奏会】で生田流と山田流でそれぞれ演奏披露されました。皇后陛下御名代伏見宮妃と姫宮の御前演奏だったそうです。
東京で発展し、流行してきた山田流では、この《御代万歳》はよく演奏されたそうですが、生田流は演奏の機会が少なかったためか、残念ながら生田流の《御代万歳》は楽譜も刊行されませんでした。しかしながら、山口巌の息女である琴栄師が、この曲を楽譜として公刊することとなり、巌の《御代万歳》が世の中にも知られるきっかけとなりました。
同じく、巌が東京音楽学校から御下命を受け、昭和3年(1928)に作曲された《聖の御代》という曲があります。巌は国を祝う曲を作曲し、京都盲唖院に在籍していた頃も御前演奏をすることが多かったことから、日本国のために作曲や演奏を通して貢献していたことがうかがえます。
詳しくは博士論文「山口巌の生涯−箏曲界に与えた影響とその業績−」をご参照
詞章
[作詞] 吉丸一昌 [調弦] 箏本手・替手ともに雲井調子(一は五の乙一=壱越)〽明治の御代の隆(さかえ)は、天業(あまつひつぎ)を恢弘(ひろめの)べ、大正の御代の御稜威(みいつ)は、天(あま)の下に光宅(みちを)り。皇天(あまつみかみ)の威(いきおい)と、皇祖皇宗(よよのみおや)の徳(いつくしみ)、積りてここに三千年(みちとせ)や。御国(みくに)の光、照りまさる我わが大君(おおきみ)の大御代(おおみよ)の生うまれ来(こ)しさへ嬉しきに。現津(あきつ)御神(みかみ)の大君は、今日を生田の足日(たるひ)とて、舊(ふる)き都の雲の上、天位(たかみくらい)に即(つ)きたまう。
〔手事〕
〽此の大御典(おおみのり)仰ぎ見る六千餘萬(ろくせんよまん)の國民は、足のふみとも手の舞も忘るるばかりのよろこびに、御代万歳(みよばんぜい)と言祝(ことほ)げば鴨緑江(ありなれがわ)の河音(かわおと)も、新高山(にいたかやま)の山風も、しらべ合せて諸聲(もろごえ)に、御代万歳(みよばんぜい)と祝うなり。御代万歳(みよばんぜい)と祝うなり。