山口巌の生涯ー箏曲界に与えた影響とその業績ー(第二章 第一節)
第二章 山口巌の業績
山口は、生涯をかけて、箏曲界の歴史に残る業績をあげている。演奏家として、その実力を発揮するだけでなく、箏曲に関する一つ一つのことに対して、熱心に取り組み、熟考を重ね、さまざまな研究を行ってきたことが、大きな業績を残すことに繋がったのであろう。
第一節 箏の巾柱について
山口は、箏曲界の現在には欠かせない箏柱の一つである「蕗柱(ふきじ)」を発明した。蕗柱は現在でいう巾柱のことであり、現在広く使用されている。巾柱は、箏で演奏者からみて、一番手前の糸にかける柱のことである。また、箏の面とその側面に対するように柱を立てなければならないため、他の糸に使用する箏柱に比べて、箏の表面に面する部分が他の柱と異なった作りとなっている。作りが異なるのは、箏の柱と、箏の表面が触れる部分である。
一般に使用する柱は箏に面する部分が、ふたつの足に分かれたようになっており、糸側と箏に面する部分を支えている。巾柱は、この足の部分の片方が、さらに分かれており、この部分で、箏の表面と、箏手前側の磯のふたつの部分が支えられるよう作られている。これは、巾の糸を弾く際に箏柱が安定することと、巾を弾いた時の音色と、他の糸を弾いた時の音色をできるだけ均一にするために工夫し、改良されたものである。
現在、巾柱は一般的に使用されているが、この山口の画期的な発明が現在に活かされているというのは、箏曲界にとって非常に価値ある業績といえる。
この蕗柱は、写真12にあるように、大正九年(1920)三月三十一日に特許第三六〇六一号をもって、特許局に登録し、その証明書を受けている。
また、『三曲』に掲載されている、博信堂の広告欄に、蕗柱についての説明と、定価表が掲載されている。(図5)
図5の博信堂の広告欄には、この巾柱について、「五 演奏中一の柱巾の柱は倒るゝ事なし」ということが書かれている。現在は、この巾柱は巾の糸のみの使用がほとんどであるが、この当時は、一の柱にも巾の柱を使用し、活用していたことが考えられる。