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山口巌の生涯ー箏曲界に与えた影響とその業績ー(第二章 第四節)

第四節 ラジオ放送での活躍

日本のラジオ開設は、大正十四年(1925)である。アメリカにおいて大正九年(1920)にラジオが完成されはじめて放送事業が開始された。アメリカがラジオ放送を開始した六年後に日本でも放送事業が開始され、大正十四年七月十二日に東京放送局にて放送をはじめた。また、同年七月十五日に名古屋放送局、同十五年(1926)十二月一日に大阪放送局が相次いで放送を開始した。しかそこのとき、各地区の放送局はそれぞれ別の社団法人組織であり、全国の管理の統一を図るため、同年八月に日本放送協会を創立し、全国に支局を開設後、ラジオの放送を全国的に広めた。

邦楽雑誌の『三曲』において、無電放送彙報という記事が出たのは、第三十六号(大正十四年三月号)からである。大正十四年三月一日に始まったラジオでの放送であるが、同年の七月十二日からは、芝区愛宕山上の新築放送室より放送となった。また、大阪でも大阪無電放送局より六月一日から公式放送が開始された。『三曲』のなかで、三曲の無線放送開始について記載された記事がある。

本放送開始に就て
無電放送演奏に就ては三月一日假放送以来各三曲大家順次に好意を以て出演下された事を感謝致します。
芝愛宕山上に新築中の放送局は愈よ出来揚り、この七月十二日から本放送となるので既にその三曲番組は編集中ですが本放送の方へも先生方を遇するの道に就ては相當申入れておきました、多分相當の反響はある事と存じますが、今迄は單に自働車(原文ママ)送迎に止まり、何等かの報酬的の事はなかつたのは事實で、是は私から懇願して先生方の出演を煩はしたのです、本放送から何等か従来と異る處があると思ひます、但し特に之を記す所以は、中には妙に誤解する人があつて、報酬はあるが先生方の手に渡らぬとか云つた人もある様で、疑ひは人によります、そんな事は放送局でも絶對に無い筈で、私如きは忙しい仲を只頼まれたばかりに世話しておるので、それ以外の事は放送局直接に願ふ事は規まった話です、今度局内に放送部が出来て服部浮白氏が部長となって専ら番組編成にかヽつておられます、私は一應辭退したのですが従前からの關係と云うので相變らず従前通り、頼まれヽばイヤと云へない、時期のくる迄は出来るだけ三曲界の世話はするつもりです。

大正十四年七月十二日に東京放送で放送されはじめたラジオ放送であるが、この『三曲』の記事では、同年三月一日に三曲界のなかで、大家の演奏家が仮放送に出演したとある。 

本放送までの期間、演奏家を集って、仮放送を編集していたということであるが、本放送までの開始に、三曲の名演奏家に演奏を依頼することに苦労もあったことがうかがえる。

放送局開設当時は、ラジオ放送の聴衆者を集めるために、面白い音楽や演芸を放送するため、邦楽の演奏が多く取り上げられた。この当時はまだ、西洋音楽が普及していなかったためでもある。

放送開始当初、邦楽の一流の演奏家といわれる人のなかには、ラジオ放送に出演することは、自分の芸格を落とすものと誤解され、出演を回避する傾向もあったそうである。  しかし、ラジオ放送が世の中に徐々に普及し、人々への宣伝効果も大きいという事が周知されたことで、邦楽界の演奏家の出演が積極的になった。そして、邦楽の演芸では、放送されないものがなく、すべての邦楽についての放送が行われていた。

山口は、東京で活動していた頃、ラジオ放送の演奏でも活躍をみせていた。息子の瀧響息女琴栄とともに演奏活動を行っており、一般的には「放送でおなじみの山口一家」といわれていたほど、山口家の演奏は世に広まっていたそうである。また山口は、ラジオで「日本音楽史講座」「趣味講座」の放送にも選ばれて、古典の実演を放送し、地歌箏曲界の生き字引のような存在であることを示した。そして、東京の邦楽界において、見事な手腕を発揮し、大正十四年(1925)七月十二日東京中央放送局の第一回名誉技芸員として今井慶松 とともに推薦されている。

以下は、山口が東京放送局名誉技芸員に推薦されたときの推薦状の内容と、東京放送において、功労のある者に無線電話の徴取料の免除を認められたときの通知書である。

写真15 東京放送局名誉技芸員の推薦状
写真15 東京放送局名誉技芸員の推薦状

写真15 東京放送局名誉技芸員の推薦状
(京都府立盲学校 岸博実氏所蔵の個人資料より)

写真16 東京放送局からの無電放送徴収料免除の書状
写真16 東京放送局からの無電放送徴収料免除の書状

写真16 東京放送局からの無電放送徴収料免除の書状
(京都府立盲学校 岸博実氏所蔵の個人資料より)

写真17 ラジオ放送時の写真

《高千穂》
本手:山口巌 替手:山口琴栄 三絃:山口瀧響
昭和十二年二月十六日 山口巌のラジオ放送での最後の放送(京都)

写真17 ラジオ放送時の写真
(『檢校山口巖師 五十回忌にあたり』より)

以下は山口がラジオ放送の演奏で活躍した記録を雑誌『三曲』および、新聞記事から取り上げた一覧表である。

山口巌が演奏した楽器について、記載がなく不明な場合は、空欄とする。
また、『三曲』の新聞記事の発行年月日、発行号数、ページ番号については、英数字で表記した。

図表1 ラジオ放送における演奏記録

図表1 ラジオ放送における演奏記録

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