秋風の曲(高向山人作詞・光崎検校作曲)
調弦 秋風調子
作詞 高向山人(蒔田雁門)
作曲 光崎検校
解説
「箏のルネッサンス」と称される光崎検校の箏曲復古主義に基づき作曲されたと言われています。
構成は、六段からなる段物形式の前奏に続き、六歌の組歌形式から成ります。
歌詞の内容は、白楽天(白居易)の「長恨歌」を翻訳したもので、2歌ずつ序破急にまとめています。「序」の一、二歌では楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛を一身に受けたことを歌い、「破」の三、四歌では安禄山の乱で都を追われた玄宗皇帝と楊貴妃が宮廷生活から一転して旅寝の身になり、楊貴妃が馬嵬で殺されたことを歌います。そして「急」の五、六歌では楊貴妃を失った玄宗皇帝が嘆き悲しむ様を歌っています。
歌詞
一歌求れど得難きは、色になんありける、さりとては楊家の女こそ、妙なるものぞかし
二歌雲の鬢花の顔、げに海棠の眠りとや、大君の離れもやらで、眺め明かしぬ
三歌翠の華の行きつ戻りつ、如何にせむ、今日九重に引き替えて、旅寝の空の秋風
四歌霓裳羽衣の仙楽も、馬嵬の夕べに、蹄の塵を吹く、風の音のみ残る悲しさ
五歌西の宮南の園は、秋草の露繁く、落つる木の葉は階に、積もれど誰か払わん
六歌鴛鴦の瓦は、霜の花にほふらし、翡翠の衾独り着て、などか夢を結ばむ
通釈
一歌
探し求めても手に入れにくいのは美女であることよ。そうはいっても、楊家の娘(楊貴妃)こそは、絶世の美女である。
二歌
耳の上の髪は雲のようで、顔は花のように美しく、なるほど(玄宗皇帝が楊貴妃のことを)「海棠の眠り」とたとえたと言われるのも頷ける。玄宗皇帝は楊貴妃から片時も離れることができず、一日中見とれていた。
海棠の眠り玄宗皇帝が、楊貴妃が酔って寝たあと、まだ眠そうな顔で現れたのを見て言った言葉に由来し、美人が起きたてのときに、まだ眠りから覚めきらずうつろな感じでいる、なまめかしい姿のたとえ。「海棠」は、春に薄紅色の花をつける花木で、その美しい花は美人にたとえられる。
三歌
玄宗皇帝は都と離れがたく、行ったり来たりしてどうすることもできない。かつては宮中で華やかな暮らしをしていたのに、今は一転して旅寝の空の下で、秋風がわびしく感じられる。
翠の華翡翠の羽毛で飾った玄宗皇帝の帝王旗。安禄山(唐代の軍人)が謀反を起こし、玄宗皇帝は蜀(四川省)へと逃亡を余儀なくされた。
四歌
仙人が奏するような美しい「霓裳羽衣の曲」はもう聴けなくなり、楊貴妃を失った馬嵬の地の夕暮れには、馬が巻き上げる砂塵を吹く風の音だけが残ることの悲しさよ。
霓裳羽衣玄宗皇帝が、夢の中で見た天上の月宮殿における天人の舞楽にならって作ったと伝えられる「霓裳羽衣の曲」を意味する。
馬嵬都から西方数十キロメートルの馬嵬駅で警固の兵士たちが反乱を起こし、国難を招いた責任者として楊国忠を殺し、さらに玄宗皇帝に迫って楊貴妃を駅の仏堂で縊殺(首を絞めて殺すこと)せしめた。
五歌
西の宮殿や南の庭園には、秋の草に涙のような露が降りている。木の葉が落ちて階段に積もっているけども、誰もそれを払う者はいない。
露玄宗皇帝の涙も暗示されている。
六歌
鴛鴦(オシドリ)にかたどった瓦には、霜の花が美しく咲いていることでしょう。翡翠(カワセミ)の刺繍を施した布団を独り掛け、どうして安らかに眠れようか。
箏曲演奏家 福田恭子